『劇場版PSYCHO-PASS サイコパス』

●連れの要望で映画館で『 劇場版PSYCHO-PASS サイコパス 』を見る。 コミカライズの一巻を読み 、SF設定は評価しつつも、ヒロインのキャラクターはどうなのだ?と評していたが、なるほど、彼女の存在意義は、本作を見てわかった。

日本の実写映画は見るに値しないものが多く、評判のよいものも、それはちまちました作品が多くて、未来を描くハードSFなんてものはもはや存在しない。しかし日本のアニメにはそうした作品が数多く存在し、レベルの高い話が展開されている。

本作もそうした一つで、システムの話がテーマである。システムにより守られた社会が良いのか、そのシステムに人間は挑むべきなのか、という内容を設定しつつ、答えは出さない。そもそもヒロイン自体が、システムの中でシステムを守る仕事をしながら疑問も抱いている。そして、システムはそうした彼女を、システム後の社会を見据えてなのか、厚遇しているように見える。

ヒロインのような微妙な立場で揺れながら、揺れたままの人物を描くということは、おそらく欧米社会ではできない。その場合、未熟なモラトリアムとしてしか描くことができず、そうでない描き方をしようとすれば、ピーターパンのようなトリックスター的立ち位置に置くことになってしまう。宗教や信仰によりアイデンティティが支えられている社会では、それが邪魔をしてしまう。なので欧米人にとっては本作のヒロインのような人物は、何か、わけがわからないものになるだろう。そう考えると「攻殻機動隊」の草薙素子を彼らはどう描くつもりなのか、不安になる。あの存在の微妙さを、欧米社会はおそらく許容しないのではないか。

なお本作では、システムだけを取り入れたふりをして、実際はごまかして運用していた社会が舞台になっている。最終的には、利用しようとした側はシステムが整備された時点でパージされ、しかし、そうした段取りで整備されたシステムもヒロインの指摘を受け入れ人民の声を聞くことにする。・・・中国人が見たら、どういう感想を抱くのだろう、と思う話でございました。



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