『セッション』を見ました。


セッション

映画のレビューする前にマンガをせいやと言われそうですが、今夜の更新はこちらのみとなりますあしからず。しかも深夜2時にアップしてどうすんねんって話ですが・・・。



緊張感あるが大味な一品。矛盾している?いや、タイトな人間関係は緊張感あり、巧い。一方で、そんな教育者がいるか、そんな指導があるか、そんなチャンスが来るか、というツッコミポイントも多彩。その両者を表現すると、そういう矛盾した文章になってしまう。つまり、題材の設定がおかしい映画なのである。バンドの話、であるとすれば、バンドはチームのハズなので、しかしそのバンドのなかで他を蹴落とすような物語を展開されては、話としてまとまるはずがない。だが本作はそこに全く触れることなく話が終わる。なので、傑作ではない。



『バードマン』もそうだったが、ジャズ・ドラムは映画を盛り立てる。その意味でビッグバンドジャズを題材にしたのは良いのだけれど、反面、この映画で描きたかったことは音楽ではない。寧ろ宗教や信仰の隠喩として教育を舞台にしたのであって、洗脳と解脱がテーマである。自分の理想を押し付け締め付ける指導者に対して、その教えに従わなければいけないと思いつつも父の教えも浸透している主人公は、もがいた挙句、自分を出して抵抗する。しかし本来彼がすべきことは自分の道を進むことであり、洗脳下のなか他の生徒とは違う反応をするものの、リアクションにすぎないままで一旦は挫折する。しかし、最終的には敷かれたレールから外れ自分の道を行くことで、洗脳を振り切る。そんなガチンコ勝負の話なのである。



が、題材とお膳立てが悪かった。なので菊地成孔と町山智浩が論争する事態になった。まぁこれがギャガの仕込みだったら感心するが。もしそうなら皆墓の中まで持って行くように。実際、映画館はキャパ小さめとはいえ満席ソールドアウトで、日比谷みゆき座の日曜最終回19時30分が早々に売り切れというのは凄いことなのだ。銀座の日曜最終は鬼門のハズなので。



ちなみに論争は意味があると思うけれど、その前に根本的に知っておくべきことがある。まず、映画では題材となっている分野をまっとうに描写できていることなど殆どない。とはいえそれをプロの目で指摘するのは大事。公開前にネガティブな情報を出すのは営業妨害かもしれないが消費者には親切かもしれない。一方でポジティブな情報を出すのは営業支援にはなるが消費者にとっては騙しに等しい場合もある。影響を与えることが罪なら、評論家は皆罪人だ。ポジティブな評価はよくてネガティブな評価はダメ、というのではダブルスタンダードである。まぁそもそも日本で公開前でも本国では既に公開済なわけで、そういうもののレビューをしてはイケナイというのは、フィギュアスケートの結果が既に出ているのに地上波テレビの放送まだなので報道差し止める、みたいな、お前の勝手な都合にすぎないよね、という話ではある。その辺突き詰めると日本でも同時公開を、みたいなことを言い出す人がいるけれど、そうではなくて、タイムラグのある日本では良作が良い思いを出来る、という図式なので、本来良い洋画ばかりが優遇されるはずなんですけどね。



なお菊地氏・町山氏に共通するのは、メディアに出ているくせにアウトサイダーを気取っていることの居心地の悪さである。桑田佳祐氏が叩かれた事態にも似ているけれど、反体制派と思っているらしいあなた方は最早権威であって立場的に叩かれる側の人なのにそのことへの自覚がない、ということだろうか。大衆と同じと擦り寄る時点でポピュリズムであって、ロックでもジャズでもパンクでもないんだけれど。そもそも商売として5年10年成り立っている人が、影響力ないとか権威がないとかいうのは、業界の上だけを見ている証拠で、消費者見てないんだなぁ、と思う次第である。別にそれで批判したいとか非難したいとかではないんだけれど。寧ろ大変だな、という印象が強い。



ところで映画に戻ると、教師はヘミングウェイみたいなものかなぁ、と思って見ていた。あの人のマッチョ思想は、自分の中の女性的な要素を消したいがため、という話だったわけで、他人をゲイだなんだとくさす奴が一番ゲイ臭い。人のことバカっていうやつがバカなんです、ってのは実は真実をついているのだ。

映画『セッション』公式サイト



search this site.

mobile

qrcode

selected entries

categories

profile

others

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM